御祭神 | |
〔脇座〕 | 息長足媛命(おきながたらしひめのみこと) |
〔主座〕 | 品陀別命【八幡大神】(ほむだわけのみこと) |
〔脇座〕 | 仲姫命(なかつひめのみこと) |
【八幡山別當長壽寺略縁起】 版木 欅材 A3サイズ位
當山ハ天平勝寶年中行基菩薩ノ開基仁王四十六代孝謙天皇ノ御願ニテ三百石ノ社領ヲ寄セラレ伽藍甍ヲ並べ院宇扉ヲ連ネテ善明山長寿寺ト号シ其後六十二代村上天皇ノ御宇應和年中ノ頃此國ニ毛利氏ノ武士アリ 或時此山ニ登リテ一人ノ老翁甲胃ヲ帯シテ威光巍然タルニ逢フ其武士拝伏シテ公ハ如何ナル御方ニテ渡ラセ給フト問ヘバ翁答エテ我ハ是八幡宮ノ臣武内高良大臣ナリ 八幡宮ツトニ此峰ニ鎮座シ給フコト汝未ダ知ラザルニヤト謂テ扉ヲアゲテ山中ヲ指シ示シ給フニ當山ノ半腹ニアタリテ紅白ノ旗八流風ニ隨ッテ林中ニ飜ガエリ其中ニ八幡宮赤熊ニ乗ジテ影向シ給フヲ拝シヌ翁告テ曰ク汝速ニ此地ニ宝殿ヲ造リ奉リ誠意ヲ致シテ祭リ奉ルナラバ永ク天下国家ヲ鎮護シ萬民ヲ安寧ナラシメント懇ロニ示シ給ヒヌ此日八月十五日ニテゾアリケル毛利氏此趣ヲ以テ鳳闕ニ奏シ奉リ忝ケナクモ勅宣ヲ蒙リ更ニ荘嚴ナル御社ヲ造営シテ八幡山ト改メ別當長壽寺ト定ム 其翌年八月十四日ノ夜別當
當院快智夢想ヲ蒙リ曉ヲ待ッテ御垂水川ノ邊ヲ望ムニ神箭ニ筋現前起立スルコト夢中ニ違ハズ畏レ多クモ此箭ヲ拝受シ深ク社内ニ納メ奉リ七日間齋戒絶食宮籠シテ猶冥鑒ヲ祈ルニ満ツル暁微妙ノ音聲ヲ以テ宣託シ給フ我ガ御手水川ノ清キ水ニ身ヲ俗スル輩ハ罪穢苦災ヲ除キ抜イテ餘リナキコト草露ノ日ニ向フテ跡ナキガ如クナラシメント御詞スズヤカニ聞コヘオハシマシテ和歌二首ヲ詠ジ給フト傅ヘヌ奇ナル哉妙ナル哉 其時ヨリ此カタ清流潺々トシテ世々ヲ重ネ今ニ至リテ参詣ノ男女老幼御水ヲ掬シテ垢穢ヲ祓除シ利益ヲ蒙ムルモノ其数ヲ知ラズ 然ルニ天正六年寅ノ秋三木城騒乱ノ際伽藍宮社一時ニ回祿ニカカリタレドモ四方ノ男女神威ヲ畏レテ直チニ社殿ヲ再建ス 翌年卯ノ正月十八日寄手ノ大将羽柴秀吉公此山ノ北嶺ニ陣ヲ築キテ屯シテ或日社頭ニ参詣シ神箭ヲ拝センコトヲ請フ 別當
當院長弘之ヲ許シテ拝セシムルニ鎧ノ袖ヲカキオサメテ嘆ジテ曰ク幸イナル哉ワガ陣所モ八幡ノ鎮地向フ所モ八幡ノ地理ナリ弓箭ノ冥加ニカナヒ勝利を得ルニ疑イナシトシテ歡喜喝仰ノアマリ暫ク神箭ヲ拝受シ凱戦ノ後ハ速ニ返シ納ムベシト誓ヒテ去リシト云々 今ノ社頭ハ天正十六年子一月十九日當地頭上原兵庫助ノ造営セラルルモノナリ 寛保二亥歳三月 八幡山別當長壽寺
栄宥識
【八幡宮勧請】應和ニ壬戌年(962年)八月二十日
【播磨鑑】
天平勝宝年中 考謙天皇の御願所として社領三百石御寄付有之
また應和年中某社頭造営す 坊舎等数多有す
其後、天正6年三木兵乱の時社頭破壊す 今の社領は池田輝政御寄付有之御黒印有
(再建棟札)天正16年(1588年)2月19日水曜心宿
【旧郷社 氏子地域 三ヶ村 約480戸】
【傅説】
当御社は天平勝宝元丑年(西暦749年)2月、第46代孝謙天皇の勅願所として創立された。後神護景雲3年(西暦769年)和気清麻呂公が皇位を奪おうとする僧道鏡の野望をくじくため、宇佐八幡宮へ行く途中、当御社境内にて、道鏡の追手が追いつき、清麻呂公を襲おうとしたとき、当山より一頭の巨猪が飛び出し、追手をことごとく蹴散らし、難を逃れることのできた清麻呂公は無事大任を果たしたと伝えられている。
清麻呂公の難を救った猪を出した当八幡宮に対し何時の頃からか誰からとなく厄除の大神として崇敬されるようになった。以来、当御社の鎮座する所加古川市八幡町の名と共に、近郷稀な厄除八幡宮として、2月第3土曜日・日曜日(以前は18日・19日)の厄除大祭には全国各地から参詣者が後を絶つことなく今日に至っています。
和気清麻呂公
![]() 和気清麻呂・『前賢故実』より |
和気清麻呂(わけ の きよまろ、733年(天平5年) - 799年4月4日(延暦18年2月21日)奈良時代末期から平安時代初期の高級官僚。備前国藤野郡(現在の岡山県和気町)出身)は、称徳天皇の皇位を護り、平安遷都に功績があり、「忠義の英雄」として戦前の国定教科書に掲載されていました。 清麻呂は称徳天皇に重用されていましたが、当時、天皇に寵愛されていた道鏡がまさに飛ぶ鳥を落とす勢いを誇っていました。 そして、ある時、道鏡一派の九州太宰府の神職が、宇佐八幡の神託として、「道鏡が皇位につけば、天下太平となろう」と伝えてきたのです。 そこで、称徳天皇は清麻呂を宇佐八幡に出張させて神託を確認させたところ、 「わが国では昔から君子と臣下は決まっている。臣下を君子とすることはない。」と、先の神託とは全く逆の内容を告げられたのでした。 このため清麻呂は道鏡の怒りを買い、大隅国(現在の鹿児島県)へ流されることになりました。 清麻呂は大隅国へ行く途中で、皇位の安泰を祈願するため宇佐詣でをしようとしたところ、道鏡の手先に暗殺されそうになりました。 その時、約300頭の猪が突然現われて、清麻呂の御輿の前後を護衛しながら宇佐八幡までの道を無事に案内したということです。 本姓を磐梨別公(いわなしわけのきみ)と言う。鉱産氏族の伝承を持っている。磐梨の磐は、古代人が鉄は磐のように堅いと考え、鉄の代名詞になったという記載がある。また彼の所領には薬草園があった。 |
和気清麻呂拾円札 和気清麻呂と猪 1899(明治32)年に発行された日本銀行券甲十円券の裏面には「猪」が描かれており、甲十円券は通称「いのしし札」と呼ばれています。 また甲十円券の前、1888(明治23)年に発行された日本銀行券改造十円券の表の肖像は和気清麻呂で、その周りに8匹の小さないのししが描かれいることから通称「表いのしし」と呼ばれています。 |
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(八幡信仰と安産及び育児祈願)
当神社はその由緒に云われる通り、古くより穢れを祓い難を除く厄除けの神様として、厚い信仰を集めております。また一方で、御祭神の八幡大神の御誕生の際は御父仲哀天皇崩御の後で、当時内外ともに極めて多事多難の時で、御母神功皇后のご苦労は並々ならず文字途通り千辛万苦の際でありました。しかしながら、それにも拘らず大層安らかに御誕生になり、健やかに御成長されたところから八幡大神を【安産と育児を守る神】として信仰されるに至っております。
本殿以外の境内の摂末社
毎年、5月24日に当社境内にある八社のお宮のお祭り、小宮八社祭を行っています。
稲荷社(いなりしゃ) | おいなりさんの愛称で知られる保食神(うけもちのかみ)が祀られています | |
五 社 の 宮 |
天照皇大神(あまてらすおおみかみ) | お伊勢さん、伊勢神宮の神様です |
高良社(こうらしゃ) | 武内宿弥(たけうちのすくね)八幡さんの老臣で長老の神様です | |
若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう) | 仁徳天皇、本殿のご祭神、八幡大神の子供 | |
武塔社(むとうしゃ) | 須佐男命(すさのおのみこと)、疫病除け、祇園さんの愛称で知られる、京都八坂神社が本宮になります | |
愛宕社(あたごしゃ) | 火加具土神(ほのかぐつちのかみ)愛宕さんの愛称で云われる、火と台所の神様 | |
二 社 の 宮 |
天満社(てんまんしゃ) | 菅原道真(845〜903年)を祀る学問の神様 |
秋葉社(あきばしゃ) | 火加具土神(ほのかぐつちのかみ)秋葉さんの愛称で云われる、火と台所の神様 |
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