国恩祭

 国恩祭は天保4年(1833年)に始められたと伝えられています。明治維新の30余年前、天保の大飢饉の頃のことです。幕末の不穏な世情の中、旧加古・印南両郡の神職が集い、一種の組合を結成し、毎年両郡で一社ずつ臨時大祭を斎行することとしたのです。
 旧加古・印南郡は東播磨の瀬戸内沿岸に位置し、現在の加古川市・高砂市・加古郡全域と姫路市・明石市の一部にまたがっていました。兵庫県神社庁の支部は、行政域に拘らず、国恩祭の伝統に基づき、かつてのまま、加古と伊奈美の支部を構成しています。云うならば、この祭事を契機にして文化圏を維持し、相互の協力関係を保っているのです。そして、現在は22社が加盟し、11社ずつに分かれて輪番で奉仕し、連綿と今に引き継がれています。


加盟神社輪番表
令和 加 古 郡 印 南 郡
元(2019) 12(2030) 令和元年5月 阿 閇 神 社 平成31年4月 八幡神社(当社)
2 13 高 砂 神 社 日 岡 神 社
3 14 泊  神  社 稲 根 神 社
4 15 尾 上 神 社 生 石 神 社
5 16 浜 宮 天 神 社 湊  神  社
6 17 荒 井 神 社 曽 根 天 満 宮
7 18 国 安 天 満 神 社 志 方 八 幡 神 社
8 19 崎 宮 神 社 大 塩 天 満 宮
9 20 御 厨 神 社 平 之 荘 神 社
10 21 粟 津 天 満 神 社 神 吉 八 幡 神 社
11 22 野 口 神 社 上 之 庄神 社

※輪番は諸般の事情により入れ替わることもあります。
八幡神社(当社)・日岡神社・稲根神社の3社は、
加古支部に所属しますが、国恩祭の輪番では印南郡
に入ります。(加盟神社数の関係によります)   

国恩祭神事式次第
【第1日目之儀】
・参進・修祓・一拝・開扉之儀・降神之儀・献饌・祝詞奏上・神楽奉奏・玉串奉奠・撤・昇神之儀・閉扉之儀・一拝・退下

【第2日目之儀】
・参進・修祓・一拝・開扉之儀・降神之儀・献・奉幣之儀・祝詞奏上・神楽奉奏・玉串奉奠・撤・昇神之儀・閉扉之儀・一拝・引継・退下

国恩祭第一日之儀・平成20年4月12日
神職集合写真
国恩祭第一日之儀・平成20年4月12日
神社総代集合写真
国恩祭第二日之儀・平成20年4月13日
神職集合写真
国恩祭第二日之儀・平成20年4月13日
来賓・神社総代集合写真

『国恩』とは・・・

 現在では『国恩』という言葉はあまり使いませんが、江戸末期の文書を読むと『国恩』という言葉がよく見受けられます。
 例えば、
  「互いに齢すでに五十を過ぎながら、『国恩』を報ずるすべもなく・・・」
  「皆これ『国恩』の厚きに依ればなり」
  「何様『国恩』を報ずべき手段叱然るべし」
  「何とぞ御『国恩』を報ぜん事と・・・」
 このように、「国恩を報ずる」とするのが一番多いようです。
 漢和辞典を引くと、『国恩』の意味として、国家のめぐみ、とありますが、これはどうも現代的な解釈のように思われます。江戸時代の人が用いた『国』の意味は、ふるさとのことだと思われます。従って、『国恩を報ずる』とは「自分をはぐくみ育ててくれたふるさと、つまり産土神のめぐみにお返しをする」ことだと言えるのではないでしょうか。

 
  
八幡神社 本殿・拝殿
  画家 : 小川 英紀 師

平成20年斎行国恩祭にあたり、かつてより親交のあり、恩師である明石市在住の画家、小川英紀師に『八幡神社を描いていただけませんか』、と依頼いたしましたところ、快くお引き受け下さいました。
3月でまだ寒さも残る中、ご多忙にも関らず制作して下さいました。
心より感謝いたしております。
下記に師の画集より略年譜を紹介いたします。

1941年 小谷勘一、花子の長男として神戸市に生まれる
1960年 六甲学院高等学校卒業
1960年 多摩美術大学油絵科入学
1961年 多摩美術大学油絵科退学
1961年 東京芸術大学美術学部油画科入学
在学中、当時の教授であった牛島憲之、山口薫、小磯良平の指導を受ける
1962年 サエグサ画廊二人展
1965年 東京芸術大学美術学部油画科卒業
1965年 東京芸術大学大学院美術研究科入学
1966年 新制作展入選、ルナミ画廊二人展
1967年 東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了
1967年 東京芸術大学美術学部油画科研究室に1970年まで副手、助手として在籍
新制作展入選、ルナミ画廊個展、椎の会油絵展
1968年 新制作展入選、椎の会油絵展
1969年 十騎会展、グループ「核」展
1970年 明石短期大学(現神戸文化短期大学、神戸ファッション造形大学)専任講師勤務
明日香会展
1975年 明石短期大学助教授昇任
1977年 夏季休暇を利用し、イタリアサンミニアート市でのAAII主催の美術研修に参加
1980年 明石短期大学を退職
1980年 神戸女学院中学部・高等学部に教諭として勤務
1982年 ギャラリー・パルパローレ「岡田山の四季シリーズ」個展
1986年 ギャラリーほりかわ「続 岡田山の四季シリーズ」個展
1987年 夏季休暇を利用し、フランス、ベルギーを写生旅行
1988年 ギャラリーほりかわ 第1回ヨーロッパ風景水彩画個展
1990年 夏季休暇を利用し、ドイツ、ベルギーを写生旅行
1991年 ギャラリーほりかわ 第2回ヨーロッパ風景水彩画個展
1995年 夏季休暇を利用し、フランス、ベルギー、オランダを写生旅行
1996年 夏季休暇を利用し、オーストリア、ベルギーを写生旅行
1997年 ギャラリーほりかわ 第3回ヨーロッパ風景水彩画個展
1998年 夏季休暇を利用し、フランス、ベルギーを写生旅行
1999年 夏季休暇を利用し、オーストリア、ドイツ、ベルギーを写生旅行
2000年 ギャラリーほりかわ 第4回ヨーロッパ風景水彩画個展
神戸女学院より半年間の自由研修期間を与えられ、主として北海道で制作
2001年 ギャラリーほりかわ 日本の風景水彩画個展
夏季休暇を利用し、フランス、ベルギーを写生旅行
2002年 2001年12月に還暦を迎えたのを機に、「小川英紀 風景水彩画集」を刊行
2003年 夏季休暇を利用し、オーストリア、ドイツを写生旅行
2004年 ギャラリーほりかわ 第5回ヨーロッパ風景水彩画個展
3月末画業に専念するため、神戸女学院中高部を退職
5月下旬から8月上旬まで、ベルギーのブルージュに滞在して風景画制作
2005年 4月上旬から6月中旬まで、南フランスを写生旅行
2006年 ギャラリーほりかわ 第6回ヨーロッパ風景水彩画個展
9月下旬から10月下旬までフランスを写生旅行
2007年 「小川英紀 風景デッサン集」を刊行


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